ギリシアが一神教ではないにも拘らず科学と哲学を発展させられた理由

要旨: 一神教が自然科学と哲学を発達させる基盤になった。
一神教が自然科学を発達させた理由は、一神教の教義では、神が創造した世界では唯一絶対の真理があると考えたからだ。
キリスト教では、神はこの世界の主権を持っているがすでに世界からいなくなり、人間は神から委任を受けて神の代理を果たす。神のいない世界で、自然を理解することで神を理解することができると考える。
この認識が、自我を離れて、事象を客観的に捉えることができ、科学を生む基盤を作った。


科学は、ギリシアで発達したと言われる。
哲学が生まれたのはギリシアだ。タレスアリストテレスギリシアで生まれた。
ギリシアの思考法は、今まであった呪術的要素が影を潜めて、合理的になった。


一般的に、ギリシア一神教はなかったと考えられている。
しかし、それは二重に間違っている。
『Encyclopedia of Religion』Mircea Eliade のよるMonotheismの項目によれば、一神教は3つに類型化できる。
それは、1.君主的一神教、2.流出論的神秘的一神教、3.歴史的・倫理的一神教だ。
ギリシア神話は、2.流出論的神秘的一神教に分類される。なぜなら、ゼウスを頂点として、その下に複数の神々がいたからだ。だから、厳密には、ギリシア一神教がなかったとは言えない。


ギリシア哲学を発達させたのは、イオニアの思想家たちだった。
それは数多くの哲人を輩出していたことからもわかる。
なぜ、イオニアだったか?
一つ目の理由として、イオニアが世界初の船舶貿易都市だったことがあげられる。
そこでは、氏族主義にとらわれず、貨幣制度をベースにした社会があった。
彼らは実学を数字を基盤とした合理的な考え方をした。
外国人たちはそれぞれの国の神話を共有できなかったため、神話を自然科学のようなものに作り変えた。
つまり、政治的関係にとらわれずに自由に原論活動をすることで自然科学を発達させられた。


第2に、海外移民や海外文化を積極的に受け入れた。そこには、エジプトからの移民も多数いた。
実際、ピタゴラス幾何学を取り入れたのは、エジプトからだった。
エジプトは、世界初の一神教を作った国だった。エジプトの心身二元論は有名である。
また、かつてナイル川が氾濫した際にそこを測量するために、数学が発達していた。
ギリシアは、そのような一神教の文化から大きく影響されていた。


第3に、何より当時の帝国ペルシャゾロアスター教から強い影響を受けた。
ゾロアスター教は、正確にはツァラトゥストラ一神教に変えるまでは一神教ではなかった。
しかし、一神教に変わる前でも、最高神が二つか三つだったので、一神教に似たようなものだった
上述した『Encyclopedia of Religion』Mircea Eliade のよるMonotheismの分類によれば、キリスト教イスラム教、ゾロアスター教は「3.歴史的・倫理的一神教」に分類される。
その世界観は、神が、この世界の創始者であり、歴史終末における全権を持っている
ギリシア哲学の成果はこのゾロアスター教から大きく影響を受けている。


整理すると、イオニア言論の自由と貨幣制度を基盤としたで実学的な文化が、
積極的な外国人と外国の文化の受け入れたことで(とりわけ一神教的文化を持つエジプトやペルシアなど)、
その高度な知識を総合し発展させることができた。これが、ギリシア哲学を創造したと言える。


では、ヨーロッパで長年帝国を築いたローマはどうか?
キリスト教が国教になる391年以前の初期ローマは一神教が支配的ではなかった。だから、一神教がローマの政治や哲学を発展させたのではないことのではない、と思うかもしれない。
確かに、初期のローマにおいては、キリスト教が国教ではなかったが、キリスト教と勢力を争っていたのは、ミトラス教とマニ教である。
どちらもゾロアスター教から派生した宗教で、ベースにあるのは一神教的世界観だ。


中世のヨーロッパは、周知の通り、キリスト教が支配的だった。
それだけではなく、イスラム世界でもイスラム教が支配的であり、そこでも科学と哲学が発展した。
ルネサンスまでには、ギリシア哲学の後継者は、ヨーロッパではなくイスラム世界だった。
そこで、ギリシア哲学は発展し、イスラム哲学が誕生した。


ルネサンス期に、ヨーロッパが、イスラム哲学を輸入し、
忘れられていたギリシア哲学を再輸入してからは、
経済学、美術、自然科学、法学、哲学、が高度に発達していった。
これが、一神教からみた自然科学史だ。


・参考文献
『ふしぎなキリスト教橋爪大三郎大澤真幸
モーセという男と一神教フロイト
『書物との対話』河合隼雄
『古代インド文明の謎 (歴史文化ライブラリー) 』堀晄
ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史 』メアリー・ボイス
『古代社会経済史―古代農業事情』マックス ウェーバー
Heartland of Cities: Surveys of Ancient Settlement and Land Use on the Central Floodplain of the Euphrates』Robert McC. Adams
多神教一神教―古代地中海世界の宗教ドラマ』本村 凌二
『哲学の起源』柄谷行人
『経済の文明史』K.ポランニー
『Persians & Greeks: Zoroastrian Influence on Greek Philosophy』The Circle of Ancient Iranian Studies(ロンドン大学のイラン神話研究)
『ミトラス教』マルタンフェルマースレンMarten J.Vermaseren
イスラーム思想史』井筒俊彦
『古代派とスコラ学派』: http://cruel.org/econthought/schools/ancients.html
『日本人のためのキリスト教神学入門』佐藤優http://webheibon.jp/blog/satomasaru/2012/11/post-32.html
『戦略の階層:修正版/地政学を英国で学んだ』奥山真司: http://geopoli.exblog.jp/11855493/
同志社大学神学部中田考ゼミ論文』: http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/yamanemt.html


一神教が自然科学を発展させた。

ゾロアスター教イスラム教、キリスト教ユダヤ教、これらは全て一神教だ。
佐藤優によれば、「人間が作りだした文化や社会制度に肯定的価値を付与することは、根源においてできないのです。キリスト教の本質は、アンチ・ヒューマニズム(反人間中心主義)なのです。人間が作りだした文化や社会制度に肯定的価値を付与することは、根源においてできないのです。」
カトリック神学、正教神学では、イエス・キリストを経由する以外で、神について知る回路が残されています。それは自然です。神が創った自然には、神の意思があるので、人間が自然を通じて神を知ることができるという発想があります。プロテスタント神学者でも、エミール・ブルンナーは、自然神学に肯定的評価を与えています。」そうだ。

フロイトによれば「一神教は唯一の絶対的な真理を追究しようとするため、自然科学を発達させる基盤になった。」そうだ。


一神教では、神は世界を創造したが、地上から消えたと考える。
さらにキリスト教イスラム教には世界へ特殊な認識を持っている。
世界は神に主権があるが、人(ムハンマド、イエス)は地上で神の代理を委任されているため、空家になった地球を管理・監督する権限がある。地球にはもうただのモノしかないが、人間には理性がある。
世界(宇宙、地球、火、水、諸々)、これらは神の意志によって作られた絶対的な真理だと考え、その原因を追求する。
近代科学は観察から生まれる。人間の自我から切り離して、神の視点から、事象を観察することができる。
人間は、神の代理として、神が何を考え、なぜ、神はこの世界を作ったのかを考えるからだ。
マイケル・ポランニーが「科学は観察の拡張である」というように、こうして人間は自我を切り離し、事象を客観的に観察し、因果関係を把握し法則化することができるようになった。


・参考文献
『ふしぎなキリスト教橋爪大三郎大澤真幸
モーセという男と一神教フロイト
『書物との対話』河合隼雄
『日本人のためのキリスト教神学入門』佐藤優: http://webheibon.jp/blog/satomasaru/2012/11/post-32.html


アーリア人がペルシアへ移住した。(ただし、移住元は「北シリア説」か「南部ロシア〜カフカス地方説」で別れている。)
インド・イラン系アーリア人は、遊牧民であり、祭司・戦士・牧畜民で構成されていた。
彼らは、インドに向かう途中、イラン高原に定住し、継続的に移住し、都市国家ササン朝ペルシアを作った。
古代アーリア人の神話は、太陽や天空を神々と捉えた多神教であり、火の崇拝などの儀式があった。
これを、ペルシアは自然現象を擬人化した自然神のいるイラン神話として受け継いだ。

彼らが、ペルシアへ移動する前にどこにいたかは大きくわけて2説ある。


1: 通説
彼らは、南部ロシア〜カフカス地方から、インドに向かう途中、イラン高原に定住し、継続的に移住し、都市国家ササン朝ペルシアを作った。


2: 堀晄説
インド・ヨーロッパ語族の起源は、8千年前の原初西アジア型農業の担い手(麦、山羊を中心とする農業)だった。
北シリアの古代インダス文明はもともとアーリア人のものであった(アーリア人インダス文明を征服したのではない)。
しかし、セム族(アフロ=アジア族)がアフリカからアジアへ侵入したことによって「玉突き的」に、アーリア人の大移動が、引き起こされたのだろう。
新石器時代に北シリアの農耕民が、インドのガンジス川流域に向かう途中、イラン高原に定住し、継続的に移住し、都市国家ササン朝ペルシアを作った。(そのため、古代インダス文明は衰退した。)

堀晄説の根拠は、インダス文明とその後のインドの文明には、建築・都市計画・量衡・聖牛崇拝・牧農文化などなどからみても連続性があったためだとする。


・参考文献
『古代インド文明の謎 (歴史文化ライブラリー) 』堀晄


●ペルシアはアーリア神話から、善悪二元論ゾロアスター教を作った。
アーリア人の神話(インド=イラン語族の神話)では、誓いがあり、それを破れば復讐するシステムがあった。
イラン人はこれをさらに発展させ、善悪二元論ゾロアスター教を作った。
アーリマン(闇の神)に対してアフラ(光の神様)とミスラ(契約と戦いの神様)が協力して戦うという構図である。
ツァラトゥストラは、同格だったアフラとミスラに対して、アフラを最上位に定め、ゾロアスター教一神教になった。
※ちなみに、これらの一神教が発達するために、文字の普及が欠かせなかった。

ペルシアの都市は、征服前からあった治水・灌漑農業を継承した。灌漑農業は、太陽が最重要であったため、一神教を生み出した。また、灌漑農業はペルシアの天文学や数学を発展させた。

ただし、ペルシア王は、軍事的総司令官であり、彼の軍隊は弓、槍、騎馬の戦術を基本にした。そのため、軍事事業に向いていたためが、本来治水や灌漑には不向きであった。


・参考文献
ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史 』メアリー・ボイス
『古代社会経済史―古代農業事情』マックス ウェーバー
Heartland of Cities: Surveys of Ancient Settlement and Land Use on the Central Floodplain of the Euphrates』Robert McC. Adams
多神教一神教―古代地中海世界の宗教ドラマ』本村 凌二


●外国からの文化の輸入、移民の受け入れと植民活動、貨幣制度を基盤とした自由で実学的な文化、これらが哲学を発展させた。
イオニアは数多くの哲人を輩出し、西洋哲学を発達させた。
イリアス』や『オデュッセイア』のホメロス、『歴史』のヘロドトス、病気を神の仕業ではなく自然が原因とみたヒポクラテス、人間の希望を彼岸にではなく労働に見いだしたヘシオドス、物質がみずから運動することを発見したタレス、原子論のデモクリトス、数学によって世界の根源を知ろうとしたピタゴラス、「万物は流転する」のヘラクレイトス、そのほかパルメニデス、エンペドクレス……。
プラトンアリストテレスよりも前に、むしろイオニアにこそ哲学の起源がある。

では、なぜ、イオニアで哲学が発展したのか。


1: 外国人が技術を革新・蓄積していった。
イオニアは海洋国家であり自由貿易があった。アテナイへの食糧の多くもイオニア経由だった。
植生活動が盛んであり、外国人はすぐに市民になれた。イオニア人は彼らから多くを学んだ。実際、アテナイの家庭教師はイオニアにきた外国人か、植民地の南イタリアから移住した外国人ばかりだった。
外国人が多い土地だから、氏族関係に縛られることがなかった。
だから、慣習に縛られる関係がなく、自由な言論ができた。

また、彼らは彼らはフェニキア・エジプトからの移民も受け入れた。
ギリシャのボイオテイア地方にエジプトのテーベとテーバイからの植民があった。
その根拠として、ギリシャ神話のアテナは当時は黒かったことや、ギリシア神話とエジプト神話の類似性などがあげられる。
プラトンも、古代エジプトにおける死生観に、感化された。

・参考文献『黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ 』マーティン・バナール


2: 理性による共通認識
自由な政治制度があり、外国人が多い土地だから、氏族関係に縛られることがなかった。
だから、慣習や士族関係に縛られる関係がなく、自由な言論ができた。

異なる宗教と神話の外国人は、共有される土台がないため、ギリシア神話が共通基盤となっていった。ギリシア神話はペルシア神話にかなり似ている。
バビロニアでは神話は神官が独占していたが、イオニアは自由だった。
外国人たちの神話が異なったため、神話を批判的・理性的に考えた。これが、自然科学的思考を発展させた。


3: 数字を実用的に利用した
イオニアは市場制度を発達させたパイオニアだった。
政治制度の規制が緩かったため、貨幣制度が信頼されていた。
商業都市で、貨幣制度が発達していたため、数字を使うことが実用的だった。
数字がベースだったから、合理的な哲学が構築できたのだろう。


整理すると、1.積極的な外国人と外国の文化の受け入れと、2.自由で実学的な文化、2.貨幣制度、これらがイオニアギリシア哲学を発展させられた本質と言える。


・参考文献
『哲学の起源』柄谷行人
『経済の文明史』K.ポランニー


ギリシア一神教ではなかったのに、なぜ、自然科学や政治学が発展したのか。
イオニアの神話は、厳密には一神教ではない。しかし、ギリシア哲学は一神教から影響された。
以下、ロンドン大学のイラン神話研究の論文の直訳を抜粋して紹介する。
1 : ギリシア哲学はゾロアスター教から大きく影響を受けた。
・紀元前500年頃はペルシャギリシャもほとんど変わらなかった。
・初期ギリシア哲学のイオニアの思想は、ゾロアスター教宇宙論に由来してるように見える。ゾロアスター教の自然神はタレスの唱えた概念にそっくりだ。実際、ゾロアスター自身も、ギリシャアナトリアへ旅をしていた。
この影響が十分に研究されてきてないのは、単純に偏見があるからだ。


ロゴスの進化は、ゾロアスター教から影響されたイオニアから始まった。以下がその要約だ。
1: 一神教の、静的な、非宗教的な力。
2: ヘラクレイトスは、ゾロアスター宇宙論のアスタ(火)を、大胆にも「ロゴス」として、ストア哲学に取り込んだ。
3: ペルシア戦争後に、(ゾロアスター教は)アッティカへ渡った
4: プラトンアリストテレスによって、大きく発展した。
5: エジプトに影響されたことで、ストア学派哲学者によって非人格的に取り入れられた。
6: プルタルコスの手によってこれらの潮流は統合してまとめられた。
7: フィロは何とかしてプルタルコスの著作の中に、モーセの教義を見つけようとした。


その他にも下記のような影響が一例としてあげられる。
・アナクサゴロスは、ゾロアスター教ではZruvani Akaraniと呼ばれる「終わらない時間」の思想を紹介した。
・エンペドクレスと二元論は、ヘラクレイトスによって、あるいは直接ゾロアスター教によって影響された。
行動の原因は「愛」と「憎しみ」だ。愛は結合させる原理であり、憎しみは分けるものだ。
プラトンヘラクレイトスの弟子として、早くから影響を受けた。
プラトンはNous(理性=精神=知性)を気に入り、人智の及ばないもののため神とした。それは宇宙霊魂における性質だった。
Nous(理性=精神=知性)とは、理性であり、衝突する物であり、もう一つ別の形の二元論でさえあった。
精神、ロゴス(理性)、論理は全て同じものだった。それは普遍的な理性の一種だった。
タレスは金持ちで、暇を持て余していた。
彼は明らかにエジプトに行ったことがあって、測量に使う単純で実用的な幾何学を見てきた。
タレスは、エジプトでナイル川の測量のために利用されていた幾何学を、ギリシャに持ち込んだ。
彼は、自然現象に関心があり、新しい数学の原理と一緒にして幾何学を作った。
オルフェウスの集団は、哲学はイオニアでは「生活習慣」だと決めた。
哲学は好奇心のようなものを意味していたし、ギリシア人の感覚だと「文化」だった。
しかし、その言葉はピタゴラスが影響を持っている場所であればどこでも、深い意味を含んでいた。
哲学はそれ自体で、清めるものであり、輪廻転生の円環から抜け出すものだった。
ソクラテスのPhaedoに書いてある思想は、明らかにピタゴラス教団の教義に影響されたものだった。
ピタゴラスはアジアを旅して、永劫回帰の思想を取り入れた。永劫回帰から逃れることがピタゴラスの目的だった。)
・それから、科学は宗教になった。それだけ哲学は宗教に影響されていた。この宗教的な復活は、魂に関する新しい見解をもたらした。それでも、それはまだ、そのテーマについては哲学者たちの説教に影響をあたえていなかった。ピタゴラス学派やエンペドクレスでさえも、熱心に宗教活動に参加していたにもかかわらず、彼等は宗教的習慣をほのめかすものにはきっぱりと否定するという、見解を示していた。この時代における哲学には、ギリシャローマ神話が入り込む余地がなかった。


2: ギリシア神話は、ペルシャ神話に似ている。


3: ギリシア神話多神教だが、ゼウスを頂点とする構造がある。
‘Monotheism’の執筆者のTheodore M.Ludwigによれば、一神教は3つに類型化できる。
それは、1.君主的一神教、2.流出論的神秘的一神教、3.歴史的・倫理的一神教だ。
3.流出論的神秘的一神教とは、多くの神々を通しての1つの神の信仰と、世界魂としての1つの神の信仰だ。ギリシア神話はこれに当てはまる。古代ギリシア人では特定の最高位神との関係においてその神々の複数性を合理化していた。つまり、ゼウスを頂点として、その下に複数の神々がいた。


・参考文献
『Persians & Greeks: Zoroastrian Influence on Greek Philosophy』The Circle of Ancient Iranian Studies(ロンドン大学のイラン神話研究): http://www.cais-soas.com/CAIS/Religions/non-iranian/Judaism/Persian_Judaism/book7/pt1.htm
同志社大学神学部中田考ゼミ論文: http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/yamanemt.html


●ローマの一神教
ローマは確かに、当初、複数の宗教を認めていた。
しかし、そのほとんどは二元論、あるいは一神教をベースにしていた。
初期ローマ時代では、キリスト教とミトラス教とマニ教と並び人気だったが、ミトラス教とマニ教ゾロアスター教から分化した。
ちなみに、キリスト教ゾロアスター教にかなり影響を受けています。ヨハネ黙示録の善悪二元論ゾロアスター教そっくりです。

そして、391年にキリスト教が国教に定められた。

一神教を国教化したあと、皇帝と教皇がローマを統治し、裁判制度、官僚制度、などが発達した。つまり、中央集権化(統治と秩序)が進んだ。

また、ローマは、ギリシア哲学を発展こそはさせなかったが、その理論を実践した。実際、古代ローマ哲学者たちは、政治家でもあった。彼らは、理論よりも実践にベースをおいていた。彼らは共和制を支持した。


・参考文献
『ミトラス教』マルタンフェルマースレンMarten J.Vermaseren


イスラム一神教
イスラムでは、キリスト教から、分派し、イスラム教が生まれた。これも一神教である。

イスラム世界では、イスラム法の構築のために、ギリシャ哲学を利用した。ヨーロッパでは、忘れられたギリシャ哲学が、イスラム世界でイスラム哲学として発展した。


・参考文献
イスラーム思想史』井筒俊彦


ルネサンス期にスコラ哲学は自然科学、経済学を発展させた。また、人類初の大学(神学、法学)を創設した
13世紀に入って、イスラムから、忘れられていたギリシャ哲学とローマの文化を再輸入し、またイスラム哲学を輸入した。これは、ルネサンスと呼ばれる。
信仰と哲学が融合された、中世哲学が生まれた。中世哲学は、自然科学(プラトンアリストテレス)を再発見しました。経済学(財産、経済取引における正義、お金、利息)もスコラ学派が始めたものだと言われる。
そして、スコラ学派は、人類初の大学(神学と法学)を作った。


・参考文献
『古代派とスコラ学派』
http://cruel.org/econthought/schools/ancients.html


●エジプトで最初の一神教が生まれた
最後にエジプトについて説明したい(本来、説明の時系列としては一番最初に説明するべきだが)
一神教自体の起源は、ゾロアスター教ではなく、エジプトの太陽神信仰が最初だ。
温暖な気候から寒冷化したため、灌漑農業ができるよう、太陽を崇拝した。
古代エジプトには、心と体を切り離す心身二元論の思想があった。
※正確には1:身体、2:バー(魂)、3:カー(精霊)だ。バー(魂)は人や物に備わった「個性」のようなもので死後も現世を彷徨い続ける。カー(精霊)は死後の世界にいく「精神」のようなものだ。
一神教自体の起源は、ゾロアスター教でばなく、エジプトの太陽神信仰が最初だ。

また、ヴィーデマンによれば、エジプトの宗教は一神教だけが大事なわけではなくて、古代エジプトの宗教は3つの要素の複合体だという。
1 太陽崇拝の一神教
2 自然の再生力の崇拝
3 半人半神的な存在への信仰


一神教は抽象度の高い論理的思考を可能にした。
戦略学には戦略の階層論の理論があります。抽象的な戦略ほど強力になります。
ここで、宗教は抽象度が最も高い階層です。
ゾロアスター教では善悪2元論で構成されています。これが、キリスト教イスラム教になると、さらに一神教的になります。これは、世界で最も抽象度の高い世界を論理的に構築しようとする意思です。
そして、何百年も続いた神学論争は、ヨーロッパが抽象的世界観を論理的に構築できるスキルを養ったと思います。
こうして、学問を進化させたのだと思います。


・参考
『戦略の階層:修正版/地政学を英国で学んだ』奥山真司
http://geopoli.exblog.jp/11855493/


●追記
イオニアアメリカの良い部分をたくさんもってるなぁということが私の印象です。
海洋貿易、自由な議論、移民受け入れ、リバタリアンな風土、資本主義など。
アメリカは合理主義と資本主義の基づき、世界中から優秀な移民を大学に招いて、戦略立案や科学研究を実施していますが、この精神はイオニアから受け継いでいるところもあるのかもしれません。